出水神社の境内地、神苑・水前寺成趣園

園内では今でも静かに伏流水が湧き出ている


 「水前寺成趣園」は、清冽な阿蘇の伏流水が湧き出る桃山式の回遊庭園。春には梅・桜・ツツジの花が咲き、新緑の眩しい初夏、紅葉の秋を経て、冬には朝靄や冠雪が折々の美を呈す。水面に月を映す清らかな水を湛えた池泉と、東海道の名勝地を模した築山の眺めをたのしめる。

 寛永9年(1632年)は江戸時代、細川忠利公は加藤家にかわり肥後藩主となる。忠利公の入国に際しては、豊前羅漢寺の僧玄宅がお供をしたが、武術とともに茶道にも造詣が深い新藩主は、泉湧くこの地に「国分の御茶屋」を設けられ、傍らに一寺を建てて「水前寺」と称し玄宅和尚に与えられた。後に寺は廃寺となるが、庭園は3代目藩主綱利公の頃まで約80年をかけて大規模な整備がなされ、陶淵明の詩「帰去来辞」に因んで「成趣園」と名付けられた。酔月亭という御茶屋をはじめ園内には多くの東屋が配され、遠くに阿蘇の山脈が眺められる実に雄大な庭園となった。その後宝暦の改革によって、東屋は惜しくも取り壊され、残された酔月亭は明治10年(1877年)の西南の役のさなか焼失した。
 荒廃した園内も翌年、旧藩主を崇敬する人々によって細川家歴代を祀る「出水神社」が創建されて、成趣園は神社の境内地となって再生した。酔月亭があった場所には大正元年に京都八条宮邸にあった茅葺きの「古今伝授之間」が移築復元され、「水前寺成趣園」は昭和4年(1929年)に国の名勝・史跡に指定された。




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