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熊本偉人伝
熊本が生んだ幕末維新期の開拓者
思想家や教育家を輩出
政界での仕掛人
四時軒とゆかりの人々、その後
受け継がれた教育と思想
関連スポット 小楠公園
自習館跡
四時軒
高橋公園 群像
「清正公井」跡
関連スポットマップ
シリーズ 熊本偉人伝 vol.1:宮本武蔵
vol.2:加藤清正(1)
vol.3:横井小楠
vol.4:加藤清正(2)
vol.5:徳富蘇峰
vol.6:夏目漱石
vol.7:細川幽斎
vol.8:夏目漱石(2)
vol.9:細川忠興・ガラシャ
vol.10:五足の靴
vol.11:小泉八雲
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熊本城
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熊本偉人伝 横井小楠
横井小楠生没年:江戸時代後期 文化6年8月13日(1809年9月22日)〜明治時代前期 明治2年1月5日(1869年2月15日)
熊本が生んだ幕末維新期の開拓者
今から200年前の文化6年、熊本城下内坪井(現熊本中央女子高校地内)に、家禄150石の肥後藩士、横井太平時直(たいへいときなお)の次男として生まれた横井小楠(しょうなん)。動乱の中の思想家として、また「肥後にその人あり」とまで呼ばれた。 江戸での小楠は、数々の学者と出会う。その中でも特に、藤田東湖(ふじたとうご)からは、後期水戸学の洗礼を強く受けた。しかし、酒失により帰国を命ぜられ、帰熊後70日の逼塞(ひっそく)に処せられる。ここで、小楠はこの失敗を活かし、時習館の文章や字句の解釈に力を注いだ【学校党】に対し、長岡監物(ながおかけんもつ)や元田永孚(もとだながざね)らと共に「学問の本領は実践躬にあり」と進め、現実に根ざした学問のあり方【実学党】を結成。またこの時に、私塾「小楠堂」を開く。小楠堂では、徳富一敬(とくとみかずたか/徳富蘇峰(そほう)・蘆花(ろか)兄弟の父)や矢嶋直方(やじまなおかた)らが入門した。 政界での仕掛人 嘉永4年には、小楠は、天下の名藩の地理・制度・財政・風俗など見聞を広めるため、徳富一義ほか1名を連れて北九州、山陽道、南海道、畿内、北陸道の20余藩を巡歴した。 ![]() 四時軒客間 熊本の沼山津に帰った小楠は、美しい四季の景観を望むことが出来る住まいを「四時軒(しじけん)」と称し、座敷の障子にガラスをはめ込んだ。藩内からも「障子にビードロをはめた」と評判になったらしい。 この年、版籍奉還によって肥後の地は熊本藩へ。翌年の明治3年、細川護久(ほそかわもりひさ)藩知事らが、藩政改革に取り組む際、実行の中心は小楠の流れを汲む徳富一敬、竹崎茶堂らの門下生だった。小楠の遺志を継ぎ、小楠が果たせなかった、政治の理想・実現を目指し、明治の熊本を大きく変えた。これが、実学党政権の成立となる。 |