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熊本偉人伝
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熊本偉人伝 夏目漱石
夏目漱石生没年:慶応3年1月5日(1867年2月9日)〜 大正5年12月9日(1916年12月9日)
「坊っちゃん」の松山から「森の都」熊本へ
明治29年(1896)4月13日、夏目漱石は英語教師として第五高等学校(現熊本大学)(以下「五高」)に着任。29歳の時だった。池田停車場(現JR上熊本駅)に着いたのは午後2時過ぎ。駅から人力車に乗り、京町の坂を上り、新坂を下り、その時に眼下に広がる熊本市街を一望。木々で覆われる街の美しさに「熊本は森の都だ」と言ったと伝えられている。 ![]() 五高記念館(教室) 五高での漱石は、英語教師として精力的に働いていたという。五高生の英語の学力不足を心配して課外授業を行い、山川信次郎や狩野亨吉(かのうこうきち)など東大時代の親友を教師として招くなど、尽力した。また、学業だけでなくボート部の部長としても五高生の面倒をよく見ていた。こういうエピソードが残っている。日清戦争で海軍省から大型ボート二曹を払い下げられることとなり、部員が佐世保まで受け取りに行ったところ、彼らは飲食に使い果たしたという。約百円の弁済に困り、先生たちに懇願して回ったが、みんなから断られる。それを聞いた漱石が一人で弁済した。また、才能ある生徒に入れ込み、書生として自宅に住まわせるだけでなく、学費や食費などの面倒を見ていたという。 ![]() 内坪井旧居 熊本時代は、生涯の中でも比較的幸せな時間であった。松山時代に見合いをしていた中根鏡子と、第一の家「光琳寺の家(熊本市下通)」で結婚。結婚式の6月9日はあまりにも暑い日だった為、式が一通り終わってから養父は漱石の浴衣を借り、漱石や鏡子夫人も私服に着替えた。列席者は新婦の父、東京から来た女中と婆や、車夫の総勢6名で、総費用は7円50銭と簡素な式だった。三三九度の杯が一つ足りなく、後に鏡子がそのことを語ると「どうりで喧嘩ばかりして、夫婦仲が円満にいかないわけがわかった」と笑ったそうだ。 ![]() 石畳/草枕道の中で唯一当時の面影を深く残す「石畳の道」。漱石もこの道を通り旅を続けた。 ![]() 石碑/野出峠の茶屋跡にある句碑。「天草の 後ろに 寒き 入日かな」と詠まれた句が眺望の美しさを物語る。 同僚の山川信次郎と玉名郡小天村(おあまむら/現玉名市小天町)へ正月を過ごす旅に出たのは、冷たい雨の降る同年の暮れのこと。熊本市島崎岳林寺から登りはじめ、「山路を登りながら、こう考えた」という「草枕」冒頭の山路に当たる鎌研坂(かまどきざか)を抜ける。鳥越峠(とりごえとうげ)、野出峠(のいでとうげ)を経て小天温泉にたどり着いている。「おいと声をかけたが返事がない」と主人公・画工が立ち寄った茶屋で、漱石たちも休憩したのだろう。
当時小天温泉には数軒の温泉があり、漱石が泊まったのは小天の名士である前田案山子(かがし)の別邸だった。案山子の二女卓子(つなこ)が、小説の中でたびたび画工を悩ますヒロイン・那美のモデルだと言われている。小説の那美は一風変わった女性として描かれているが、当時29歳の卓子は2度の結婚に失敗し、自由民権の影響を受けた奔放な女性だった。卓子は漱石たちの接待を受け持ち、部屋へ料理やみかんなどを届けたり、青磁の皿にいれた羊羹(ようかん)を運んだりした。そうした中で、漱石は那美のイメージをふくらましていったのかもしれない。
取材協力/夏目漱石内坪井旧居
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