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熊本偉人伝
時勢を読み、
大名への礎を固めた細川家初代 武士として初めて
古今伝授の継承者に 伝統の継承を見守った
「古今伝授の間」 文武に秀でた
細川家の当主たち 関連スポット 泰勝寺跡・立田自然公園
水前寺成趣園・古今伝授の間
永青文庫展示室
旧細川刑部邸
シリーズ 熊本偉人伝 vol.1:宮本武蔵
vol.2:加藤清正(1)
vol.3:横井小楠
vol.4:加藤清正(2)
vol.5:徳富蘇峰
vol.6:夏目漱石(1)
vol.7:細川幽斎
vol.8:夏目漱石(2)
vol.9:細川忠興・ガラシャ
vol.10:五足の靴
vol.11:小泉八雲
vol.12:野白金一
vol.13:加藤清正(3)
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熊本偉人伝 細川幽斎
細川幽斎生没年:天文3年4月22日(1534年6月3日)〜 慶長15年8月20日(1610年10月6日)
時勢を読み、大名への礎を固めた細川家初代
寛永9年(1632)、改易された加藤家に替わり、豊前小倉藩より細川忠利が入封。以来12代にわたり、細川家によって熊本が治められることになる。細川家初代が忠利の祖父・細川幽斎(藤孝)。戦国の動乱期にありながらも、和歌や連歌の修行を続け、安土・桃山時代で一番の教養人として知られている。 ![]() 修復前の古今伝授の間(写真提供:株式会社 お菓子の香梅) 若い頃から歌道を志し、将軍のお供をしながら夜中に勉学に励み、事あるごとに和歌を詠んでいたという幽斎。紀行文「九州道の記」「東国陣道記」を記し、公家・武家に関わらず多数の門人を有した。 幽斎が智仁親王に古今伝授を行ったのが、熊本市の水前寺成趣園内に立つ「古今伝授の間」である。当時は智仁親王の学問所として京都御所内にあったが、息子・智忠親王時代に乙訓郡開田村(現・京都府長岡京市)の長岡天満宮境内に移され、台所や湯殿などを建て増して「開田御茶屋」と称されていた。明治4年(1871)、「開田御茶屋」は宮家の領地上げ地の際に、ゆかりのある細川藩へ下賜され、熊本に移すべく解体し建て増し部分を捨て大阪の藩の倉庫で保管される。大正元年(1912)歴代藩主を祀る出水神社の境内へ移築。古今伝授は御所をはじめ様々な場所で行われたが、実際に伝授された部屋が残るのはここだけと言われる。 ![]() 国宝 太刀 銘豊後国行平作(たち めいぶんごのくにゆきひらさく) 永青文庫所蔵 本能寺の変で隠居した幽斎に替わり当主となったのが長男・忠興である。明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)を正室に迎え、秀吉の天下統一に協力し、関ヶ原では家康側の東軍に属して活躍した。一方で父・幽斎と同じく教養人としても名が高く、千利休に茶の湯を師事し、利休七哲の一人に数えられている。三男・忠利に家督を譲った後は三斎宗立と号し、寛永9年(1632)12月、忠利が藩主として熊本に転封されると、八代城に入り隠居所とした。この時、忠興好みの茶器を造っていた朝鮮陶工・金尊楷(上野喜蔵)も従い、八代に高田焼が創始された。 |