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熊本偉人伝
豊かな自然に驚きと感動
青年たちが歩いた天草西海岸 冷たい水でもてなしてくれた
憧れの人・パアテルさんとの対面 地方文壇との交流や炭鉱視察…
5人それぞれの旅の目的 「五足の靴」の発表により
文壇に南蛮趣味ブームが到来 関連スポット 天草キリシタン館
五足の靴文学遊歩道
三角西港
富岡城跡
下田温泉 五足の湯
天草エアライン
シリーズ 熊本偉人伝 vol.1:宮本武蔵
vol.2:加藤清正(1)
vol.3:横井小楠
vol.4:加藤清正(2)
vol.5:徳富蘇峰
vol.6:夏目漱石(1)
vol.7:細川幽斎
vol.8:夏目漱石(2)
vol.9:細川忠興・ガラシャ
vol.10:五足の靴
vol.11:小泉八雲
vol.12:野白金一
vol.13:加藤清正(3)
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熊本偉人伝 五足の靴
与謝野鉄幹、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里
豊かな自然に驚きと感動。青年たちが歩いた天草西海岸
![]() 五足の靴が掲載された東京二六新聞。写真は明治40年8月20日の掲載ページ(天草ロザリオ館 提供)
「五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。五個の人間は皆ふわふわとして落ち着かぬ仲間だ。彼らは面の皮も厚く無い、大胆でも無い。而も彼らをして少しく重味あり大量有るが如くに見せしむるものは、その厚皮な、形の大きい五足の靴の御陰だ」
の書き出しではじまる「五足の靴」。明治40年(1907)8月7日から9月10日まで、東京二六新聞に連載された九州旅行記で、作者は〝五人づれ〟。その5人とは、詩歌機関誌「明星」を主宰する与謝野鉄幹(本名:寛、35歳)、その同人である北原白秋(早大文科23歳)、吉井勇(早大文科22歳)、木下杢太郎(本名:太田正雄、東大医科23歳)、平野万里(東大工科23歳)。同年7月28日から8月27日までの1ヶ月にわたる九州西部をめぐる旅は、近代文学を代表する詩人たちの若き日の冒険だった。
一行は福岡から唐津、長崎とめぐり、8月8日に長崎県茂木港から暴風の荒海を船でわたり、富岡港(現在の天草郡苓北町)へ上陸。上陸後は、天草西海岸沿いを徒歩で南下している。 ![]() 大江天主堂と吉井勇の短歌が刻まれた2つの歌碑 ![]() パアテル(教父)さんと呼ばれたガルニエ神父 「五足の靴は驚いた。東京を出て、汽車に乗せられ、唯僅に領巾振山で土の香を嗅いだのみで、今日まで日を暮したのであった、初めて御役に立って嬉しいが、嬉しすぎて少し腹の皮を擦りむいた、いい加減に御免蒙りたいという。併し場合が許さぬ、パアテルさんは未だ遠い遠い」。5人の旅の目的は、土地の人が〝パアテルさん〟と親しく呼ぶカトリック教フランス人宣教師、ルドヴィコ・フレデリック・ガルニエ神父に会うことだった。 ![]() 当時の富岡港全景(本渡歴史民俗資料館 所蔵) 東京に住む5人が、遠く離れた天草のパアテルさんをどうやって知り得たかは明かされていない。旅のコースは、九州出身の北原白秋が、故郷の文学仲間の白仁勝衛にアドバイスをもらい決めていったという。当時は、柳川と天草は商い船が行き来していたそうだから、船員のうわさ話が白仁の耳に入り、白秋に伝わったのかもしれない。 平戸や島原など、キリシタンゆかりの地を訪ね歩いているにも関わらず「どこもかしこも近代化され、天草だけが異彩を放っていた」と木下杢太郎は絶賛している。日清・日露の両戦争で勝利し日本各地の風景が変わっていくのに対し、天草だけは隠れキリシタンの時代から変わらないエキゾチックな情景をとどめていたのだろう。
取材協力/天草キリシタン館
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